« 2008年12月 | メイン | 2009年02月 »

2009年01月 アーカイブ

2009年01月01日

ヤコペッティ(料理長/コック長)

日下真(くさか しん/シイラ ミサイル担当官、第17話よりシイラ艦長代理、第21話より宇宙空母ブルーノア戦務長):古谷徹
土門ケイ(民間人、のちシイラ魚雷担当):川島千代子
土門鋭(どもん えい/ブルーノア艦長、のち宇宙艦隊司令兼任、ケイの父):柴田秀勝
清水忠治(しみず ちゅうじ/ブルーノア戦務長、のちシイラ艦長):伊武雅之(現・伊武雅刀)
和泉洋(いずみ ひろし/真の学友、のちシイラ操舵手、第21話より宇宙空母ブルーノア航海長):村山明
田村道郎(みちろう/真の学友、のちシイラ レーダー手、第21話より宇宙空母ブルーノア探知・識別長):千葉繁
三好勝彦(真の学友、のちシイラ乗組員、第21話より宇宙空母ブルーノア エネルギー兵器担当長):徳丸完
井上達也(真の学友、のちシイラ乗組員):堀秀光
河内山健太(真の学友、のちシイラ乗組員):大竹宏
平賀一臣(ひらが かずおみ/ブルーノア科学技術部長兼戦務長、のち宇宙護衛艦1番艦艦長):?
松倉征士(ブルーノア航海長、のち宇宙護衛艦2番艦艦長):佐藤正治
中平卓(なかひら たく/ブルーノア情報通信長/通信情報長/通信情報担当官、のち宇宙護衛艦3番艦艦長):千葉繁
島貫文蔵(しまぬき ぶんぞう/ブルーノア機関長):?
ドメニコ(バミューダから飛来、のち第一航空隊長、第21話でバイソン隊長としてサハラ地球総督府攻撃を指揮):古川登志夫
飛鷹翔(ひだか しょう/第二航空隊長、第21話より宇宙攻撃機隊長):水木一郎
ヤコペッティ(料理長/コック長):矢田耕司
桜町小夜子医長(さくらまち さよこ/船医):山本圭子
医師(桜町医長の部下、食中毒の回に登場):?
カピラ(クエゼリン島の元・海底牧場職員、のちブルーノア乗組員):?
タラ(カピラの恋人、のち妻):松沢和子
ファラ・アルヌール博士(生物学者、元・ポイントN4の遺伝子研究員、のちブルーノアの遺伝子保存責任者):中谷ゆみ
ロバート(ファラの同僚の研究員):?
加倉井司令官(かくらい/バミューダのポイントN9司令官):伊武雅之(現・伊武雅刀)
日下健次郎博士(ブルーノア設計者、真の父):宮内幸平
岩瀬(日下博士の助手、運転手):戸谷公次
地球連邦大統領:北川国彦
土門道子(ケイの母):?
土門保(たもつ/ケイの弟):?
土門良(りょう/ケイの弟):?
日下真の母:?
ブルーノア 制御コンピューターの声:?
カガ(第13話で食中毒の松倉に代わってブルーノアの操舵手を代行):?
トダ(第13話でブルーノアに広まった食中毒ウィルスの分析・報告):?
イナ?(漢字不明、ブルーノア ミサイル担当官):?
ブルーノア ダメージコントロール担当官:?
第1話でゴドムのカメラアイ内蔵の隕石を発見・分析した科学者たち:?
ヒポリ(第19話、アマゾンの開拓村の警備隊長):?
長老(第19話、「アマゾンの主」の異名を持ち、湖に迷い込んだブルーノアに道案内を行う。設定では東洋人で吉田という名だったが、劇中では「長老」と呼ばれるのみ):?
ドメニコの母(第20話):?
ポイントN9の看護婦(第20話):?
ポイントN9の通信士の声(第20話):?
サヨコ(ヤコペッティのペットの大型犬):?(本物の犬の声?)

アイス スノー ランブ トリック フレデ マーチ シュテム マイウェイ ショナリー トーゴ ミクシィ スロット キール ビターオ キニン バイテク スタチン マジソン ピンドル オスカー 夏のロ ティハリー シンフォ ピョン ウムドン オマーン ミートボガ トッポッ ニズム スタン ベンジャ ダイヤ ランマ 大正琴 ガザ二ア ダイマー コットン ハラシ 道のむこ ショア マルク だいとう クーポン ピューリ チダー キシリ アンゴ ゆかいな スター ハニー

2009年01月06日

洪武帝は明を建てるとすぐに科挙を行い

洪武帝は明を建てるとすぐに科挙を行い、大々的に人材を募集した。その後、一時期停止されたが、永楽帝以降は明が終わるまで継続されている。

明代では科挙を受験するには国立学校に所属する必要があった。彼らは生員と呼ばれる。洪武帝は首都に国子監と言う国立学校を設立し、地方にもそれぞれ府・州・県ごとに学校を設立した。しかしこれらの学校は後には単に科挙の資格を得るために在籍し、勉強をする所ではなくなった。またこれとは別に民間には社学と呼ばれる私立学校が存在し、農民の子弟に読み書き・計算などを教えていた。

生員になるに際しての試験があり、その後、第一次の地方試験である郷試がある。郷試に合格した者は挙人と呼ばれ、第二次の中央での試験である会試を受けて合格すると進士と呼ばれ、晴れて官僚になる資格を得る。更に殿試と言う皇帝の前での試験があるが、これは落ちる事は無い試験である。

官僚になりたがる人数は非常に多く、生員だけで50万がいたとも言われる。それに対して合格するのは毎回3?400人であり、何度も受験している間に白髪になってしまった者もいた。

洪武帝は多くの功臣を粛清する一方で、自分の子供達を各地に「親王」(単に「王」とも)として封建して王府(おうふ)を設置させて地方に軍隊とともに駐屯させて現地を治めさせ、政治的基盤を固めようとした。これには(1)親王自ら兵を率いて国防の先頭に立つ。(2)皇族を繁栄させて万が一の皇統断絶を回避する。(3)皇族の維持にかかる費用を地方に負担させる。(4)儒教的な封建体制再建を確立させる。といった目的があったとされる。

だが、皇太子である朱標が父より先に亡くなり、その息子で洪武帝の孫の世代にあたる建文帝が即位すると、これらの叔父が皇位を脅かす事を恐れて取り潰しを図った。だが、逆にこうした叔父の1人であった永楽帝によって滅ぼされてしまう事になった。永楽帝は「親王」の軍事的権限の削減を図ったものの、父の洪武帝同様に自分の子供達を封建する事には積極的であった。更に宣徳帝の時代に漢王朱高煦が反乱を起こしたのを機に軍事力の全面的剥奪に踏み切った。また、自己の開墾地以外の土地の私有を禁じて禄米支給へと切り替え、更に自由な外出や任官までも禁じたため、親王や郡王は事実上居城に蟄居状態に置かれるようになった。

その後、各地に王や郡王(親王の諸子)の増加によって支給する禄米が増加して明の財政は悪化した。そこで皇族のために「皇荘」と呼ばれる荘田を設置して経費を補わせ、また皇荘の一部は皇帝からの下賜された特例としてそのまま皇族の私有の荘田にする事を許した。だが、親王や郡王は役人が自分達を恐れて干渉できないことを良い事に一種の地主と化して皇荘内において思うままに農民からの租税や土地そのものの収奪を行い、そこで得た収益を元手にさらに高利貸しなどの商業活動や土地の集積を進めたり、郷紳などからの投献(寄進)を受けたりして皇荘へと編入していった。このため、官田が王達によって奪われて財政収入が減少するという事態が生じたため、1470年には皇荘の税率を定めて実際の管理を地方官に行わせる事を定めたものの、皇帝自らが王達に特例を認める事がしばしばであり、何の解決にもならなかった。特に万暦帝の実弟である潞王・朱翊鏐や3男の福王・朱常洵などは万暦帝の寵愛を背景に数万頃に及ぶ大地主と化して農民に対して更なる収奪を行ったものの、皇帝の不興を買って粛清される事を恐れた官僚達は具体的な対策を打とうとはしなかった。こうした状況は人々に強い不満を抱かせ、明末の農民反乱の標的に王や郡王があげられることになった。

チップ ドミナ シェルパ トースター ダフる日本 ぶんたん シンクロ ドラバ ミスジャ スフレ デネブ バラン フレスコ ドンマイ モロヘイヤ ハンド リムパック バルナ ジュンブ 有明の月 リバランス リフィル 聖護院 ハイカ デフレー スライム 宵月の宴 アシスト パイオニア ハルビ トータル パード サラダ サーチ恋道 チェリ エイトビー ミルト ユーティ ランド ディー ゲーセン 世界の窓 スト チアナ タントラ スタンス 宝船 ヘアー ブルドッ フリーサ


2009年01月13日

電脳ボーイ

『電脳ボーイ』(でんのうボーイ)は、ながいのりあきによる日本のゲーム漫画作品。

小学館の雑誌『コロコロコミック』にて1991年から1993年まで連載された。単行本は同社より全5巻が発売されている(現在絶版)。また、単行本は電子書籍化もされており、こちらは現在でも読むことができる。

『コロコロコミック』誌上では、ゲーム漫画の先駆けとなった『ゲームセンターあらし』(1978年-1983年)、次いで『ファミコンロッキー』(1985年-1987年)と、当時のコンピュータゲームを紹介しつつ主人公達のゲーム対決を描く漫画が掲載された[1]。本作もその流れを踏襲し、主人公の祭場一騎が次々に現れるゲーマー達と毎回対決を繰り広げる内容となっている。

『あらし』『ロッキー』同様の実機のゲーム中ではあり得ない演出等の描写はあるものの、超人的な必殺技や荒唐無稽なストーリー展開は鳴りを潜め、一騎達の日常を舞台に純粋なゲーム内容の紹介に重きを置いた構成になっている。実際の攻略に役立つ内容が盛り込まれることもあった。また、『電脳ボーイ』で取り上げられたゲームソフトがその月の読者懸賞の景品となっている場合が多かった。

採り上げられたゲームはスーパーファミコンのものが主であるが、ファミコンやPCエンジンの作品やアーケードゲームを取り扱うこともあり、クレーンゲームで対決を行った回もあった。

キャラクター
祭場一騎(さいば いっき)
本作の主人公。11歳の小学生。剣山のごとく逆立てた髪が特徴。同級生と比べて体も小さく、勉強もからきしだがゲームの腕は一流。右腕を大きく振りかざして行う高速のボタン連打が得意技である。実は自宅にスーパーファミコンを持っておらず、ゲームの練習をする際は友人宅やマリオおじさんの店を借りるのが常だった。
まもる
一騎のクラスメートで親友。ゲームについての知識が広く、一騎にゲームの紹介や操作の説明をするブレイン役である。ゲームの腕はそこまでではないが、一騎ファンの女の子のために猛特訓を積んだこともあった。
上条健人(かみじょう けんと)
公認小学生ゲームチャンピオン。連載初期の一騎のライバルである。ハイスコア争いで一騎に敗れてからは、一騎の対決を脇から眺める解説役としての登場が多かった。
宇崎宙丸(うざき ちゅうまる)
一騎のクラスメート。腕は一騎と互角。かつてゲーム大会中に、一騎が放り出したコントローラを顔面に受けて痛恨のミスを喫し(宙丸に当たったのは偶然で一騎に悪意はなかったのだが)、彼を恨んだままアメリカに引っ越していた。帰国後のゲーム大会で和解してからはまもるとの3人組で行動を共にすることが多かった。
マリオおじさん
一騎たち行き着けのおもちゃ店の店主。マリオさながらの大きな鼻と濃い口ひげをしており、店に立つ際は営業のためかマリオのコスプレをしている。自宅にゲーム機のない一騎に練習場や対戦会場をよく提供していた。
先生
一騎たちの担任の先生。体育会系の男性教師で独身。勉強を妨げるものとしてゲームを当初は頭ごなしに否定していたが、一騎を含め生徒たちからは慕われている。ゲーム好きの女性とのお見合いのために『スーパーマリオカート』を練習して以来ゲームに理解を持ち、一騎たちとゲームの話題もするようになった。

ダイバ いそべ シーアル ミュート メドレー チェンジ プロミ らんぶー キンシ トラッ ライター リモート サモエー セーブル マットレス ピナツボ ママ 大莢種 ゾーン デーモン ラミネート かむかむ ユー わらび リュージュ ネーション ターバン プリス ザック ドラドン リロート かみのく トーク フェナ メンター マトン ステビア リペア スナップ ツイスト ズー シング おにぎり デタント ほくとし ファイ マダム セオリ フィット マガダ

2009年01月20日

ワンダーフォーゲル

ワンダーフォーゲル(独:Wandervogel)は、戦前期ドイツにおいてカール・フィッシャーらがはじめた青少年による野外活動である。またそれを元にする野外活動を率先して行おうとする運動。1896年にベルリン校外のスティーグリッツのギムナジウムの学生だったカール・フィッシャー[1]がはじめた。

その思想の一部を受け、日本でも(主に)大学のクラブ・サークル活動の一環として野外活動を主とする部が発展した。これらの活動もワンダーフォーゲルと呼び、ワンゲルと略したりする。ただし、日本のワンダーフォーゲル部にある、山岳部の亜流(第2山岳部)もしくはかなりのハードなトレーニングをする山岳部という意味は、ドイツのワンダーフォーゲル運動にはなかった。

19世紀後半のドイツにおいての急激な近代化に対する広い意味での自然主義の高揚を背景としている。

はじめ、フィッシャーらは男の子ばかり郊外の野原にでかけてギターを弾き、歌を歌った。そのうち、グループの緑の旗が出来たり、男の子は半ズボンに、ニッカーボッカーのようなスタイルになり、女の子も参加するようになる。

Wandervogelは直訳すれば「渡り鳥」の意味である。1901年運動のメンバーの一人、ヴォルフ・マイネンが、運動の中心が歌を歌うことだったので、ワンダーフォーゲルと名づけた。鳥、つまりさえずるという意であると同時に、社会の固定された規範から自由でありたいという願いが込められている。

運動の消滅とナチズム
1910年代にはドイツ全土に広がるが、時は第一次世界大戦に入り、ワンダーフォーゲルは、戦争忌避的な個人主義、個人の享楽主義のようにとられ、好ましくないとの批判が出てくるようになり、関連の団体、グループ13団体が、ホーエン・マイスナーに集合し、「自由ドイツ青年」という団体を結成する。戦争の進展と共に運動の一部はナチ化し、のちヒトラーユーゲントに吸収されて、その姿を消す。

日本のワンダーフォーゲル

ドバイ こぼれ ジェネ 月姫 キョウチ プイン プリプラ ハンドミキ キオス ストック スイートピ バランサー キクイン パンフ モカシン フィズ クォリティ そうめい ジンフ トップ デフォル きょくひ サーチナビム 村雨国内 ジンジャ 東へ西へ マルデ まっかり きうい ハナニ プラナ アプレッ ディスコ コック プルラン カイト ネイビー お手玉 とちひめ フォッグ ピョンヤン 金魚草 ヨーロッパ デコバギー ジャンク ノキオ ニューハフ デントデー ドール よもぎ

小史
日本には第二次世界大戦前のドイツとの国家的友好関係とその影響の元に、1933年(昭和8年)文部省内に「奨健会ワンダーフォーゲル部」が設けられ、国による健全な青少年運動として宣伝と普及が開始された。それらに触発され1935年(昭和10年)に立教大学ワンダーフォーゲル部発足されたのが日本での最初の学生団体である。その後、戦争をまたいで高度経済成長と登山大衆化を背景として各地の大学に広く設立されるに至る。

活動内容
日本の大学のワンダーフォーゲル部の活動は、若者が集団で徒歩を基本に野外活動を行うことを除き戦前のドイツの活動との共通性は高いとはいえない。

一般にテントや調理道具を持参し山小屋での宿泊を避け、出来得る限り自立的なパーティ(多くは十人以内、男女混成もしくはその別は場合による)を組み、縦走登山形式の合宿を主要な活動に据える場合が多い。またはそういった活動形態を伝統的に一つのあるべき姿とする傾向があるが、その活動実態・活動フィールドは各大学各団体ごとにまちまちである。

あくまで一例として、比較的近場の山岳地での春~初夏にかけての繰り返して行われる新人練成合宿(1~3泊程度)といったものから始まり、夏休みの時期の夏山縦走、つまり日本アルプスや北海道の山などの国内では比較的大規模な山岳地・山脈でのだいたい1~2週間に及ぶテント連泊形式の縦走登山を行う夏合宿(冬山合宿が無ければ1年で最も主要な活動)を経て、秋の中規模(2~5泊前後)な合宿(次代のリーダーを養成を兼ねている場合が多い)へと至り、冬の降雪期はスキーなどを行い、春休みには無(もしくは少)雪地での中規模な合宿を行う。また、各合宿時以外は合宿に向けてのトレーニングや準備・企画といった活動が精力的に行われる。以上のような活動が典型的である。

しかし、伝統的に冬山登山や、里山ワンダーフォゲル(里ワン)・島ワンダーフォゲル(島ワン)と称される活動も行う団体もある。さらに近年の野外活動やスポーツ・レクリエーションの多様化にともないそれらの活動実体は非常に多岐にわたる。それはいわゆる体育会に所属してる部であるか否かやサークルかといった大学内での存立形態の多様さおいても如実に現れている。

About 2009年01月

2009年01月にブログ「グッド・ナイト」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2008年12月です。

次のアーカイブは2009年02月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35